いろんな意味でマイノリティな僕の日常。
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昨日は普通の日だったけど、
僕にとっては思い出の日でもあります。
数年前、僕が中学生の時、
歩いて40分くらいの距離だけど
僕の一家は引っ越しをしました。
その日が、10月14日。
僕にとっては思い出の日でもあります。
数年前、僕が中学生の時、
歩いて40分くらいの距離だけど
僕の一家は引っ越しをしました。
その日が、10月14日。
僕が小学生の時
父親が病気をしたり薬の副作用で
精神的におかしくなっていたりして
母親はイライラを募らせていたようです。
そして小学6年生くらいの時、
ちょっとしたことで
母親のイライラが最高点に達したらしく、
母親は父親に向って
もう別れるしかない
と言いました。
妹は泣いてるし弟も泣いてるし
僕はどうすることもできませんでした…。
そのまま母親は僕ら子供を車に乗せて、
しばらく家には帰らないと言いました。
母親は、僕らに美味しいものを食べさせてあげると言って、
確か、
そのまま回転寿司を食べに行ったのを覚えています。
でも妹も弟も美味しそうに食べない。
母親は頑張って笑顔を作って
僕は仕方なくそれに応えてあげていました。
僕らは次の日学校があるので、
4人は深夜に帰宅しました。
もちろん父親はいませんでした。
数日間父親は帰ってこなかったけど
お金は母親が全部管理してるから、
父親は所持金がなくなって家に帰って来た。
母親は、ご飯は作ってあげていたけど、
一人だけ別の部屋で食べてた気がします。
そんなのが結構続いて、
仲直り?というか、自然に距離は戻っていったけど
喧嘩は絶えなかった気がする。
その頃僕にも色々な問題があって
母親にはずいぶん迷惑をかけたかも知れません。
確か僕が小学校6年の時だったと思いますが、
父親が朝僕らに
「お母さんが、引っ越したいって言ってる」
と言ってきました。
僕は、来るとこまで来たか!と思ったけど
詳しく聞いたら、家族みんなで引っ越すってことだった…w
何でも、今住んでる家が狭くて嫌になったんだとか。
すごく贅沢なこと言うなって思いました。
僕はあの家でも全然不自由していなかったのに。
だけど別に拒否する理由もなかったから、
「いいんじゃないの?」って言った。
その頃、父方の祖父が体を崩したのとボケが進行して
祖母が一人で大変だから、
とある関東地方にある祖父母の家の近くに引っ越す説も出ていて、
僕はこの家はもう終りだな、なんて思っていました。
それから不動産に行って家を見てまわって、
引っ越し先が決まった。近場でした。
どういうわけか知らないけれど、
家を買うお金は祖父が全部一括で出してくれた。
僕ら家族は何もせずにその家を手に入れたようで。
幼い僕にはその辺はよくわかりません。
それから、前よりも少し広い家に引っ越しました。
それが、10月14日。
かなり近距離の引っ越しだし、
前まで向かいだった子と仲良く遊んでたから寂しかったけど、
ここに引っ越してから、
家族の様子が変わった。
両親は喧嘩しなくなった。それだけのことなんだけれども。
どうしてだか、僕にはよくわかりません。
でも、心機一転っていうのがよかったのかなって思います。
それからは、
僕が家族に迷惑かけっぱなしだったけど、
僕は反省はしていない←
家族はえてして身勝手だ。
僕らのような幼い子供の目の前で
いい年した大人が互いを罵り合って、
馬鹿みたいだと、あの時僕は思いました。
それから僕は両親を見くびるようになりました。
僕の方が大人だと、口には出さないけれどそう主張しました。
だからそれから僕は両親とはあまり口を利かなくなりました。
父親はあんまり家に帰れない仕事だからいいとしても、
いつも家にいる母親と会話をしないことで
僕は家族に重苦しい空気をもたらしていました。
僕は本気で母親を馬鹿にしていたわけです。
それは今でも変わりません。
もちろん今はちゃんと会話をします。
でもあの人は僕と種類の違う人間です。
だから僕とは分かり合えない。
だけど、僕の母親であることに違いはない。
一人の人間であることにも違いはない。
だからあの引っ越しの日を境に
家族が少し落ち着いたのは、
僕にとってはすごく嬉しかった。
何か嫌なことがあった時、
別のことに目を背けるってことも
必要なのかも知れないなあと思った日。
それが、10月14日でした。
父親が病気をしたり薬の副作用で
精神的におかしくなっていたりして
母親はイライラを募らせていたようです。
そして小学6年生くらいの時、
ちょっとしたことで
母親のイライラが最高点に達したらしく、
母親は父親に向って
もう別れるしかない
と言いました。
妹は泣いてるし弟も泣いてるし
僕はどうすることもできませんでした…。
そのまま母親は僕ら子供を車に乗せて、
しばらく家には帰らないと言いました。
母親は、僕らに美味しいものを食べさせてあげると言って、
確か、
そのまま回転寿司を食べに行ったのを覚えています。
でも妹も弟も美味しそうに食べない。
母親は頑張って笑顔を作って
僕は仕方なくそれに応えてあげていました。
僕らは次の日学校があるので、
4人は深夜に帰宅しました。
もちろん父親はいませんでした。
数日間父親は帰ってこなかったけど
お金は母親が全部管理してるから、
父親は所持金がなくなって家に帰って来た。
母親は、ご飯は作ってあげていたけど、
一人だけ別の部屋で食べてた気がします。
そんなのが結構続いて、
仲直り?というか、自然に距離は戻っていったけど
喧嘩は絶えなかった気がする。
その頃僕にも色々な問題があって
母親にはずいぶん迷惑をかけたかも知れません。
確か僕が小学校6年の時だったと思いますが、
父親が朝僕らに
「お母さんが、引っ越したいって言ってる」
と言ってきました。
僕は、来るとこまで来たか!と思ったけど
詳しく聞いたら、家族みんなで引っ越すってことだった…w
何でも、今住んでる家が狭くて嫌になったんだとか。
すごく贅沢なこと言うなって思いました。
僕はあの家でも全然不自由していなかったのに。
だけど別に拒否する理由もなかったから、
「いいんじゃないの?」って言った。
その頃、父方の祖父が体を崩したのとボケが進行して
祖母が一人で大変だから、
とある関東地方にある祖父母の家の近くに引っ越す説も出ていて、
僕はこの家はもう終りだな、なんて思っていました。
それから不動産に行って家を見てまわって、
引っ越し先が決まった。近場でした。
どういうわけか知らないけれど、
家を買うお金は祖父が全部一括で出してくれた。
僕ら家族は何もせずにその家を手に入れたようで。
幼い僕にはその辺はよくわかりません。
それから、前よりも少し広い家に引っ越しました。
それが、10月14日。
かなり近距離の引っ越しだし、
前まで向かいだった子と仲良く遊んでたから寂しかったけど、
ここに引っ越してから、
家族の様子が変わった。
両親は喧嘩しなくなった。それだけのことなんだけれども。
どうしてだか、僕にはよくわかりません。
でも、心機一転っていうのがよかったのかなって思います。
それからは、
僕が家族に迷惑かけっぱなしだったけど、
僕は反省はしていない←
家族はえてして身勝手だ。
僕らのような幼い子供の目の前で
いい年した大人が互いを罵り合って、
馬鹿みたいだと、あの時僕は思いました。
それから僕は両親を見くびるようになりました。
僕の方が大人だと、口には出さないけれどそう主張しました。
だからそれから僕は両親とはあまり口を利かなくなりました。
父親はあんまり家に帰れない仕事だからいいとしても、
いつも家にいる母親と会話をしないことで
僕は家族に重苦しい空気をもたらしていました。
僕は本気で母親を馬鹿にしていたわけです。
それは今でも変わりません。
もちろん今はちゃんと会話をします。
でもあの人は僕と種類の違う人間です。
だから僕とは分かり合えない。
だけど、僕の母親であることに違いはない。
一人の人間であることにも違いはない。
だからあの引っ越しの日を境に
家族が少し落ち着いたのは、
僕にとってはすごく嬉しかった。
何か嫌なことがあった時、
別のことに目を背けるってことも
必要なのかも知れないなあと思った日。
それが、10月14日でした。
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